
今では広く知られている黒酢ですが、色々な形の商品として世に出回るようになったのはここ数年のことです。実はその歴史は非常に古く、今から約200年以上前の江戸時代後期1800年ごろから造られてきました。福山地方での黒酢造りの歴史は、「中国から来た一人の商人に米で酢が出来ることを教えられたのが始まり」と伝えられてきましたが、果たして本当にそうだったのでしょうか。
薩摩藩主島津義弘は、茶道を学ぶため千利休の弟子となりましたが、焼き物にもとても関心を持っていました。その義弘公と豊臣秀吉が朝鮮へ出陣した際、朝鮮の陶工達を連れて帰り彼らに士族としての身分を与えました。
そしてその後彼らは薩摩焼を焼き始め、その技術を代々受け継いでいきました。福山港は薩摩藩時代に交通の要衝として利用されていたため、薩摩焼で出来た壺酢(黒酢)造りには欠くことの出来ない壺をとても入手しやすかったのです。
福山地方の年間を通しての温暖な気候と適度な湿度、交通の要衝として藩への上納米の集積地として利用されていたことによる豊富な米、シラス台地から出る良質な水、薩摩焼の壺。こうした背景が揃い福山地方で壺酢造りが始まると、瞬く間にいくつもの醸造所が建てられ最盛期を迎えたのです。
しかし、大正時代から昭和初期にかけて、石油から合成して出来る合成酢が製造され、太平洋戦争が起こり米の統制が行われたため、原料となる米の入手が途絶えてしまい、醸造所も余儀なく次々と廃業になりました。そして、昭和40年代に入ると、世間では有害食品が問題となり、自然食に対する意識が高まりブームが到来しました。これにより壺酢が再び注目されるようになり、黒酢ブームの発端となる「黒酢」と命名され、現在に至るのです。